サッカーのW杯一次リーグ敗退は残念な結果でした。しかし、TVで見る限り、日本の力不足を痛感しました。退屈で緩慢なパス回しが多いと感じたのは僕だけでしょうか。。。。 「自分達のサッカー」という言葉を多くの選手が使っていたのにも気になります。「自分達のサッカー」と言うからにには、「他の国には無い日本ならではの差別化されたサッカー」なのでしょうか。それとも、スペインのようなサッカーなのでしょうか。この言葉の意味が良く分かりずらく苦しみました。
「自分達のサッカー」というように、「自分達の.......」という言葉は僕はもの凄く好きです。非常に大事なコンセプトだと思っています。我が社の経営でも同じです。「自分達の経営」と言う時、それは他社が真似の出来ない自分達の強みを活かした自分達ならではの差別化された経営を意味します。僕の会社は日本一小さい零細企業です。しかし、事業内容では、他社が真似することが極めて困難なものを狙っています。大手企業が真似することは大変に難しいですし、中小零細企業ですら真似することは大変に難しい事業内容の強化に励んでいます。
つまり、「自分達の経営」という言葉を僕が使う場合、他の誰もが真似することが極めて困難であり、追随することも困難であり、その「自分達の経営」をキチンと実践した場合は、何とか生き残れるであろう「生きる道」を意味するものです。
これは大変に難易度が高いことですし、容易に出来ることではないです。僕は日々、この困難さに直面し、折れそうになることが多いです。だからこそ、酒、ポルシェ、音楽が必要なのですよね。。。以前はそこに女が必要でしたが、最近はその傾向は弱まりました(苦笑)。。。。
このことは、サラリーマン時代に、先輩方から徹底的に教育されたことでした。「自分達の.....」という言葉を軽々しく使ってはいけないと何度も何度も指導を受けました。「自分達の.....」という言葉を使う場合は、「他に真似されない、あるいは真似することが極めて困難なワザを身に着けた場合、そしてそのワザを身に着ければ市場で生き残る可能性が極めて高くなる」ことが予想される場合に限ると厳しく指導を受けたのです。
この考え方は、39歳で独立後も僕の基本精神に完全に組み込まれています。独立後、ずっと「自分達の.......」を目指して来ました。会社の事業も「自分達の......」と言える部分と「そうではなく他の誰でもが真似できる」部分に明確に分けてきました。そして、時間をかけて、「自分達の......」と言える事業の割合を増やすことを目標としてきました。
その意味では、「自分達のサッカー」という言葉を頻発している長谷部選手や他の選手に、それが何なのかをキチンと言って欲しいですよ。「攻撃的なサッカー」というあやふやな言葉ではなく。。。
日本が勝てないのは、「自分達の.......」という定義が明確になっておらず、それを試合で実践するための心の準備や能力が不足しているからじゃないかと思うんですよ。身長が低い、体重が軽い、フィジカルが弱い、個人技が弱いという短所を補うための「自分達の........」を本当に明確にしているんでしょうか。長友からのセンタリングを上げることがその「自分達の......」に従っているのでしょうか。緩慢で退屈なパス回しが「自分達の.......」に従っているのでしょうか。
「自分達の......」の実践は、相手が猛烈に強い場合でも実施できるものでなくてはなりません。僕の会社で言う「自分達の経営」は、相手が日本一大きな企業でも、同様な中小零細企業でも実施することが出来て、それを実践すれば生き残れる可能性がある方法論を意味しています。つまり、相手が強いから「自分達の......」を実践できないということであれば、それは「自分達の.....」と言えるものじゃないと思うのです。相手が強かろうが、厳しかろうが、実践することが出来て初めて「自分達の.......」だと思うのです。
僕は、身長が低い、体重が軽い、フィジカルが弱い、個人技が弱い日本でも、「自分達の.....」があると思います。素速いパス回しによる攻撃的なサッカーといった大雑把な言い方ではなく、もっと具体的な「自分達の打ち手」があると思うのです。オシムが昔、「日本では無駄なパス回しが多すぎる。パスを貰ったら数秒以内に前方にパスする。決してバックパスをしてはいけない」という練習を課していたことが印象に残っています。相手が追随できない素早いパス回しこそが日本の生きる道とオシムが言っていました。相手が追随できるパス回しでは駄目だと。意味の無いパス回しでもダメだと。バックパスを多用するパス回しでもダメだと。。。それと小さい体をフル活用した中に切り込むドリブルの能力を推奨していました。ゴール前でゴチャゴチャやっている内にチャンスが来ると。キレイでカッコがいい攻撃的なサッカーではなく、イチローの内野安打のようなある意味で「汚い」サッカーであるべきだと。。。
僕も日本にカッコいいサッカーは厳しいと思っています。カッコよく勝つのではなく、なでしこのようなカッコ悪い勝ち方でいいのではないかと。。。 本田が「カッコよく勝つ、夢のある勝ち方を示したい」と言っていたのが気になります。僕は無理だと思っています。カッコ悪くて構わないのです。カッコ悪くても、日本選手全体が力を合わせて、組織的なボテボテの内野安打的な汚いヒットで攻めればいいと思います。いい時の韓国がこんな感じでしょうか。カッコや体裁ではなく、「結果を出す」ことで充分だと思います。結果の出し方がカッコ悪くてもいいのではないでしょうか。イチローはボテボテの内野安打でもちっとも臆することは無く、むしろ、それがカッコ良いと言われるようになりました。クリーンヒットでなくても、がむしゃらに塁に出るという結果を出し続けることがカッコいいと。
つまり、表面的なカッコ良さではなく、カッコ悪くても結果を出すという本質的なカッコ良さの追求ですよね。サムライ魂とは表面的なカッコ良さではなく、本質的なカッコ良さだと思います。それを僕は望みます。元々が日本人は穏やかで平和で争いを好まない特性が強いと思います。しかもフィジカルも弱いのですから、結果を出すためには、フィジカルに依存しない、個人技に依存しない全員でガツガツと汚いヒット的な方法論がよろしいかと。それが日本らしい、魂がこもったものだと。
ラグビーで言えば、早稲田のラグビー、明治のラグビー、慶應のラグビーと全てが「自分達のスタイル」があります。そのスタイルの背景には、哲学、魂があるのですね。無骨なまでにその哲学、魂を追いかけていくのですね。もっと柔軟に慣れないと勝てないよ、不器用者は勝てないよと思うこともあります。しかし、選手に聞くと、仮に不器用でもカッコ悪くても、自分達のスタイルが好きだし、一番気持ちが込められるし、渾身の力を込めてぶつかることが出来るんですと。。。最後にモノを言うのは精神力だと。。。 それで負ければ仕方無いと。。。
ここまで言われれば、「わかった。やってくれ」と言いたくなります。「自分達の......」という言葉はそのくらい重い言葉であり、その背景には過去からの思いやノウハウの蓄積があるのだと思います。日本のサッカーはまだ歴史が全然ないので、「自分達の.....」という言葉を使ってもらっても、それが何であるのかまるで伝わってこないです。軽々しく使ってもらいたくないと思っております。
日本選手にはこの苦境が大変にいい経験になると思います。簡単に勝てるものではないと思います。イングランドも、スペインも、イタリアも予選敗退なんですから、甘くないです。半端じゃないハングリー精神を海外選手からは感じます。技術の前に気持ちでも負けていると感じます。是非、反省し、気持ちの強さ、カッコ悪くても結果を出す方法論を実現してもらいたいと感じてます。
僕自身も、南千葉でのタイム短縮という結果を出すために、汚く、カッコ悪く、スピン、突っ込みを繰り返しています。先日の雨の中でのタイムアタックでは、3時間の1人貸切り走行でスピン50回、突っ込みを20回は経験しました(笑)。突っ込み20回でまた車はボロボロ状態になりました。一般道路ならば車は粉々になるほどの突っ込みでした。雨の中でのブレーキングがいかに難しいものであるか改めて体感しました。言い訳として、僕の練習車両はワイパーが動かないので、猛烈な雨の中、前方が殆ど見えないという最悪な状況下でのタイムアタックでした。どこからコーナーが始まるのかわからない状況の中でのスピンであったことが言い訳です。SKさん、ワイパーの動作ぐらい確認してから売って欲しかったな~と。。。(苦笑)。。。。
仕事、車共に頑張ります。
いつもイイ話が多いkikunブログですが、今回は特にイイ話でした。
返信削除kikunさんのカッコ良さは、こういう哲学に基づいているんですね。
34の件、マジですか?SK氏に言っておきます(;´∀`)
ER34は最初からワイパーが動かなかったです。しかし、雨の日での運転は先日が初めてでした。予想通り、前方全く見えずで思い切り突っ込みました(爆笑)。本当に怖い、怖い3時間でした!! それでも大変に勉強になりました。A大先生は雨の日での神経質な運転は非常に勉強になるので多いにやりたまえと! アドバイスに従いました!!! いい話なんて。。とんでもないです。ただし、自分達の…という言葉は本当に安易に使ってもらいたくないから敢えてくどく記述いたしました。
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