日曜日の朝、妻から許可をもらい(どうして、いつも妻からの許可が必要なんだよと思いつつ)、小一時間、ボクスター981で首都高速をドライブしている時でした。
携帯に連絡が入りました。日曜日の朝から何だろうって。。。
受話器を取って驚きました。
「....君なの?」
「エッ???」
「.....君なの?」
「そうですが、、、、、」
「久しぶり。Kです。」
「うっ、うっ、うっ、うっそ、嘘でしょ!!!!!!」
「今、旦那と横浜に来ているの。息子が.....君と同じ大学に入ったのよ」
「まっ、まじで!!.......」
「そうなの。上の娘が大学卒業して就職して、下の息子が今年、高校を卒業して、.....君と同じ大学の同じ学部に入ったのよ!」
「そんな~~!! 嬉しいよ」
「今、旦那と一緒に横浜に来ているからお会いできないかなと思って....」
その瞬間、ギアシフトが出来なくなりました。2速にシフトダウンしようって思っていたところでしたが、何度入れようと思っても、入らずでした。あまりに驚きで、ショックで、喜びで一瞬凍りついたのですね。既に2速に入っていたのですね。。。。 だから入るわけないです。30秒ぐらい電話でしゃべりながらどうしてシフトダウンできないか考えていましたよ。。。。。
そのKちゃんとは、僕が大学卒業して最初に入った某銀行の同僚だったのですね。そして、旦那さんは僕の銀行在職時の1年後輩です。つまりその夫婦は職場結婚で、僕は彼等のことをよ~く知っているし、彼等の僕の銀行在職時のことをよ~く知っているわけです。もう25年以上前のことですね。再会出来るとしたら、約25年ぶりになるわけです。
そして、そして、そのKちゃんとは、実は僕が妻以外に最も好きな女性だったのですよ。これは本当です。今でも、このKちゃんは、素晴らしい女性だと僕は心の底から思っています。初めて銀行に入った時、このKちゃんの容姿に驚きました。そのあまりに可愛らしい顔、そしてキレイでもあります。そうですね、オードリー・ヘップバーンの若い時の顔にそっくりです。美人とはまさに彼女のような人を指すのですね。その余りの美しさに頭の中が一瞬真っ白になった程です。周りの男性陣は皆、同じことを思っていたようです。彼女の美しさは、男どもの飲み会の席で噂にならないほどだったのです。何故ってわかります?? あまりに美しすぎて、対象外だったのですよ。現実的でなかったので、誰も触れることはありませんでした。勿論、僕も同じ気持ちでした。話題には意識してしていなかったです。
顔の美しさに加えて、スタイルも美しかったんです。とりわけ、脚線美が素晴らしかった。足首の美しさは抜けていました。これも本当です。目をそらそうとしても、見てしまいました。
僕は思っていました。同じ人間でも、こんなにキレイな人がいるんだって。。。こんなに穏やかで、癒しの女性がいるんだって。。。。 女神さまかと思いましたよ。
困ったことに、性格が本当に穏やかで、優しかったんです。。。。 僕が新人時代、仕事が出来ず、右も左もわからないで上司に怒鳴られている時、いろいろと応援もしてくれました。彼女の僕の印象って、「仕事が出来ない....君」のイメージしか無いと思います(笑)。。。。
僕にとって、Kちゃんは雲の上の女性でした。外見と性格のずば抜けた美しさ。これは間違いございません。
僕は思っていました。「一体、どんな人とこの人は結婚するんだろう」って。
間違いないのは、その相手が僕でないことでした。僕ごときがその相手になるわけはないと思っていました。
でも、心の底では、こんな女性と結婚できれば、本当に幸せだろうなって思っていました。しかし、それは実に厚かましい、あってはならないことでした。
そんな時です。僕の後輩が、「Kちゃんっていいっすよね」って軽軽しく言ってきたのですよ。
僕は「はあっ???????」って感じでしたよ。死ぬほど、呆れましたよ。「お前ごときの男がKちゃんと付き合えるわけね~だろうがっ」って。男の僕から見た場合、正直言って、僕が女だったら、その後輩とは絶対に結婚しないだろうなって思ってましたからね。。。。 容姿もたいしたことない、背も高くない、仕事もそんなに出来ないと。。。 何かいい所あるのかって。。。。
ところが、ところがですよ。その後、その後輩は、Kちゃんに無謀にもプロポーズしたのですよ。
返事がいいわけないだろうって思っていました。
そしたら、「わかりました。お受けします」だって。。。。。。。
おいおいおいおい、マジかよって。驚きを超えて、心臓が凍るほどショックでした。。。。
僕にとって100点を超えた150点の女性が、目の前のどうしようも無い男のプロポーズを承知したなんて嘘だろうって。。。。 ショックでしたよ。。。。(爆)
そして、その後、僕は退職しました。Kちゃんの旦那も銀行を退職して、九州に住むようになりました。Kちゃんには、お子さんが2人生まれて、今日を迎えたのですね。その間、ずっと年賀状のやり取りをしていましたが、25年間、一度だけ九州で会ったきりでした。結婚後も性格の美しさは何も変わる所は無かったです。勿論、外見の美しさは抜けていました。
そんなKちゃんから、「旦那と一緒に横浜に来ているから、お会い出来れば嬉しいです。.....君と同じ大学学部に入った息子も紹介したいし」と言われ、2速にシフトダウンできなくなったということでございます。
日曜日朝、僕がどれだけ心が躍りあがったか。。。
ボクスター981でドライブ中でしたが、彼等が宿泊中の新横浜駅のホテルに急遽向かいました。心はドキドキ状態でした。
あのKちゃんに会えるんだ。Kちゃん、元気だろうかって。。。
そして、新横浜駅のホテルで、Kちゃん夫婦に約25年ぶりに再会しました。
感激して声が出ませんでした。Kちゃんの優しさは全く変わらずです。美しさには陰りが見えていました。お子様の教育費、仕送り費用の捻出に必死で、化粧や服装に回す金が無いことはすぐに分かりました。Kちゃんも50歳になっていました。しかし、美しさの面影は充分にありました。顔には心の美しさが滲み出ていました。
やっぱりKちゃんは変わっていないと思いました。しかし、Kちゃんは言いました。
「私、ずっと病気だったの。膠原病という病気で今も治療中なのよ」と。。。。(涙)。。。。。
膠原病の詳細は分かりませんが、難病であるとはよく聞きます。ショックでした。
心の底からKちゃんを助けてあげたいって思いました。
Kちゃん、旦那さんとは話が弾みました。
Kちゃんが僕に聞いてきました。
「....君、Aちゃんとどうして破談したの? その後、どうして他の人と結婚してすぐに離婚したの?」
おいおいおい、25年ぶりにあっていきなりその質問はないだろうって。。。(爆)。。。 KちゃんとAちゃんは親友同士で、Aちゃんは僕と破談後、家族共々行方不明になってしまい、連絡が取れないと寂しがっていました。その後、僕はすぐに別の女性と結婚し、1ヶ月程度ですぐに離婚するという。。。。
Kちゃんは、「....君、何か人間的に問題あるんじゃないの?」とまたキツいコメントが来ましたよ(汗)。。。
Kちゃんはとても優しいので、こういう厳しい指摘もとても優しく、癒しで言って来ます。語調が優しく、顔は笑顔なので、こういうコメントを言われても許せてしまえるのがKちゃんなんです。
僕は言いました。「ハイ、おっしゃる通りです。僕は結婚不適格者です。そんな僕でも今の妻に拾ってもらいまして、結婚18年目に突入しました。妻あっての今の僕でして、僕もそこそこは成長したと思って頂けますか。18年の実績から判断すると、もう不適格者でない可能性もあります」
Kちゃんは、ずっと笑顔でした。そして、僕の直系の後輩となる息子さんを電話で呼び出し、僕に紹介してくれました。
息子さんを見てすぐに分かりましたよ。やっぱり、お母さんのKちゃんの子供だなって。。。 歪んだ所がまるで無く、素直でまっさらな好青年でした。旦那さんは車好きですので、僕のボクスターを見て、すぐに「......さん、乗せて下さい」って言って来ました。笑っちゃいますよね。クルマ好きはこうでなくては。。。(爆)。。。
旦那さん曰く、「MTですか? クラッチ重いですか?」
こういう質問もとても嬉しいですよ。旦那は銀行入行の時に、真っ赤なプレリュードで寮に入ってきたので相当に強烈な印象がありました。当時の僕が、シビックSiRのVTECエンジンを回していた時期でした。新人の癖して、どうしてオレよりもいい車乗ってんだよって思っていましたよ(笑)。
Kちゃん、旦那さんは僕に言いました。「....さんの直系後輩となりますので、何か機会があればよろしくお願いします。」
僕は言いました。「任せて下さい。腹が減ったら、俺の事務所に来い」と。
とは言ったものの、「待てよ」と思いました。
本当にオレでいいんだろうかって思いました。こんなに純粋でまっさらな染まっていない若者が僕の事務所に来て、赤く染まってしまってはいけないって思いました。Kちゃんの子供なんだから、いい加減な付き合いは出来ないって思いました。改めて思いました。やはり、Kちゃんはオレの中で憧れの女性だと。この女には本当に幸せになって欲しいと。
何故こんなこと言うのかというと、実は、旦那が結婚直後から浮気癖が直らないことを僕は知っているからなんです。旦那はセックス依存症で、これは昔から直りません。タイガーウッズと同じです。だから、僕はずっとKちゃんを心配していました。本当に幸せなんだろうかって、年賀状をもらう都度思っていました。Kちゃんの膠原病と旦那の浮気癖に何か関連は無いだろうかって思います。
僕は息子さんに言いました。「お母さんを大切にしろよ」と。これは本心です。
Kちゃん夫妻、お子様との2時間程度の再会後、ボクスター981で爆音を奏でながら、首都高速を飛ばしました。まさに爆音でした。2速、3速中心を使い、久しぶりのアクティブな走りでした。
いろいろな思いが交錯しました。
銀行時代の死ぬほど苦しかった経験、女性との破談、離婚等。そして、憧れていたKちゃんが50歳になってもまだ優しさが滲み出ていたこと。息子さんを思う母親の優しさが滲み出ていました。僕が大学に入った頃、オフクロはKちゃんと同じ50歳だったです。Kちゃんとオフクロがオーバーラップしました。そんな母親としての愛情を発揮する場所が無い僕の妻のことも浮かんできました。Kちゃんの膠原病との闘い、大丈夫だろうか。浮気癖のある旦那とは本当にうまく行っているんだろうか。別れ際にKちゃんが寂しそうに「本当は.......」と言いかけた言葉が一体何だったのだろうか。Kちゃんは言いました。「.....君も子供がいれば、私の息子と同じくらいだったね」と。
首都高速を爆走中、自然に涙が流れて来ました。寂しさを紛らわすために、ボクスターの爆音を奏でながら、走りました。こんな心の状態でも、走り自体を楽しむことが出来ました。ボクスター凄し! お前は本当にオレの相棒だって思いました。
「オレには今日の仕事が待っている」と思いました。いろいろ考えると寂しいことがたくさんあります。でも、僕は終わりの無い闘いを挑むしかないんだって思いました。明日どうなるかもわからない自転車操業の会社をどう育てていくか。僕達夫婦には子供がいません。だから、自分の会社を子供と思い、少しでも社会に役に立つ会社に育てるために僕らは邁進していく以外に道はないんだって思いました。
ガラガラの首都高速でボクスター981でエンジン回しまくりの自己陶酔劇場と化しました。涙で目が痛くなりました。
事務所に着くと、Kちゃん、旦那さんからメールが来ていました。
「今度、ポルシェで迎えに来て下さい」と。。。。
さあ、また闘いが始まります。がんばります。。。
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